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2010年6月10日 (木)

吉良三人衆を訪ねて

Img_1872

近頃「義理と人情」って、死語になってると思いませんか。
大和の国に生まれ生きて、大和魂が消えていくのは、なんとも悲しい。
ことさらにココは、勇猛果敢、義理人情の三河武士の国である。
是非、訪ねて歩かなければならない。

「義理と人情」といえば、そうです吉良仁吉です。
偉いですねぇ~ なんも利益のない荒神山の戦い。
仲間の吉五郎が苦戦するだろうと、義理人情で参戦。そして壮絶な死!

吉良仁吉と吉良上野介、そして「人生劇場」の尾崎士郎
このお三人を、吉良三人衆と呼ぶそうだ。

幡豆郡吉良町ってすごいですねぇ~ 偉い人がずらり
三河平定のときも、家康さん、かなりてこずったようですよ。
勇猛果敢な三河武士の、譲らぬ抵抗!

日本市民スポーツ連盟の「吉良三人衆 歴史と文化に出会う径」を歩いた。

御菓子所東角園で受付を済ませる。
受付する間も、目が御菓子に向いて落ち着かない。
しかし、頑張って誘惑に耐える。

店を出て歩き始めると、のっけから尾崎士郎の生誕地である。
Img_1833
門が傾いて、倒れそうである。壊さずにしてほしいものだと思う。
Img_1835
「人生劇場」の青成瓢吉の立志像です。
どこやらの国の独裁者の像ではありません。
Img_1837
仁吉さんのお墓がある源徳寺。
仁吉になってみようとは思いましたが、なにしろ独りですので撮れませんでした。

Img_1841
ここ福泉寺が尾崎さんのお墓ですけど、普通のお墓でした。

Img_1842
吉良上野介は、歌舞伎やら映画やらでは極悪人に描かれている。
しかし、あのお話は「ウケル」ためのお話であり、真相はあやしい。
吉良上野介が悪だったり意地悪だったりすればするほど、「正義」が強くなるのです。
僕が個人的に思うに、彼はたぶん名君だったと思う。
意地悪されたと捉えた方に、「あまえ」があったんではないだろうか。
地位や名誉ではなく、きっちり「求められているものは何か」に特化すべきであったと思う。
ま、証人も証拠も無いから、なんとも言えないところではある。

吉良上野介さんは、領地を巡回するときは、赤馬にまたがって移動したそうだ。
で、この道は、「赤馬の径」と呼ばれている。
快適な遊歩道である。

Img_1844
吉良家の菩提寺、片岡山「華蔵寺 」である。
見事な枯山水の庭園があるらしいが、鑑賞してこなかった。

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吉良家の祖先、東条吉良家の菩提寺「花岳寺」である。
ここには、重要文化財の宝物があるそうです。観なかったけど・・・

Img_1850
こんな竹やぶの道を歩く。中世を偲ぶことができる。

Img_1856Img_1857
吉良上野介さんは、領民が洪水で悩んでいるので、
隣国の西尾といろいろあったが、話し合いのもとで一夜にして堤防をこさえた。
今も「黄金堤」として、残されている。桜の時期は素晴らしいと思う。
ほらね、名君でしょ♪

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瀬門神社である。
草が生えてしまって、管理不足を感じる。
少し中に行くと、南極大陸に初めて日の丸を立てた「白瀬隊長」のお墓があります。
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これがお墓かと思いましたが、これは南極観測船「しらせ」のスクリューです。
白瀬さん、なぜココ吉良にお墓があるのか、ややこしいです。
確か、豊田市にもあるし・・・ 元々秋田県の人だし・・・
ま、いいですけどね(^_^)

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宝光院のサザンカです。
古くからあるそうです。でかいです。

少し小高くなったところに、東条城址があります。
冒頭の写真です。
城というより、砦という感じです。
「夏草や つわものどもの 夢のあと」
徳川元康(のちの家康)の総攻撃で落ちはしましたが、
なかなかのツワモノだったようです。
この城が落ちて、三河の全域が家康によって平定された。

Img_1881
この攻撃のときの、元康の陣屋跡地である。
一生懸命往時を偲ぼうと思えば、偲べないこともない。

10キロと短いコースではあるが、名所旧跡が多く、とても楽しいウォーキングであった。
「幡豆郡吉良町」すごいなぁ~ 



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